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2014年7月19日 (土)

「祈りよ力に」(14) 「マーシャル諸島」遠い故郷、流浪の民 核の苦難今も 「遺産」継承、次世代に

哀切に満ちた調べに合わせ遠い故郷への思いをはせていた。「穏やかで平和だった日々は戻らない」「心は絶望のふちにある」。南国の強烈な日差しが照りつけヤシの葉が揺れる。マーシャル諸島の首都マジュロ環礁のエジット島。キリスト教会に集まった50人が日曜日のミサで祈った後「ビキニの歌」を口ずさんだ。
 エジット島には、1946~58年の米国の核実験でビキニ環礁を追われた島民の一部とその子孫が住む。「母の地」は今も放射能に汚染され帰島できない。流浪を強いられた島民の苦悩を歌ったのが、この哀歌だ。
 合唱が終わると1人の男がマイクを握った。
 「私たちの故郷で何が起こったのか。なぜ島を離れることになったのか。米国が何をしたのか。ビキニの苦難を胸に刻んでほしい」
 ビキニ環礁自治体前首長で46歳のアルソン・ケレンが穏やかに切り出した。この日は、日本の漁船員や北部マーシャルの島民らが被ばくした水爆実験ブラボーから60年たったビキニデーである3月1日の翌日。子どもたちも真剣なまなざしでケレンを見詰めた。
 「故郷はブラボーだけでなく多くの核実験にさらされた。私たちの犠牲で世界は放射能の危険を知った。人類の『負の遺産』を忘れてはいけない」。ケレンは静かな口調で締めくくった。
 近くでまぶたを閉じて聞き入っていたのが、ビキニ生まれで今年88歳になる彼の母リロックだ。
 ▽人類の福祉
 「人類の福祉と、戦争を終わらせるために新型爆弾の実験を始めたい」
 日本に原爆が投下されてわずか6カ月。マーシャル諸島を占領していた米軍は島民にそう通告、強制移住させた。米国がソ連と核軍拡を競う東西冷戦下で最前線の実験場の一つになった。
 「島民は皆、寂しい気持ちになったが、『すぐ島に戻す』という米国の言い分を信じた」。リロックはコバルトブルーに輝く海を見詰め、米軍の艦船で島を離れた日の記憶をたどった。
 日本の統治時代もリロックは経験している。質素だが、環礁内のラグーンが育む豊かな海の幸と島の自然に守られて過ごした日々が忘れられない。ヤシの葉でつくる「アミモノ(編み物)」が得意だった。

夕日を浴びて海上を進むマーシャルカヌー。先人たちはこのカヌーで魚を捕り、島を行き来して暮らしてきた=マーシャル諸島マジュロ環礁(撮影・酒井直樹、共同)
 ▽楽園と監獄
 移住先の無人島ロンゲリックで待ち受けていたのは飢えだった。農業や漁業にそぐわぬ地で、米国からの食料配給は不足しがちだった。
 米国が68年に「放射能の心配はない」とビキニの安全宣言を出し、島民は相次いで戻った。6歳で初めて故郷の地を踏んだケレンは心を弾ませ、毎朝、大人たちや友人と漁網を手にラグーンに出た。タイ、ヤシガニ、ウミガメ…。伝統のマーシャルカヌー作りや操船の手ほどきを受け、独特の船体と帆が特徴のカヌーで環礁内を走った。
 「ココナツを取るのも漁も冠婚葬祭も皆で取り組んだ。『楽園』に思えた。島を離れるなんて想像もつかなかった」
 だか、少年の望みははかない夢に終わる。高濃度の放射能が井戸水や島民の尿から検出され再び島を追われる。
 新たな移住先は約600キロ離れたキリ島。環礁はなく太平洋の荒波がぶつかる孤島で、漁にも農業にも支障があった。米国から配給される缶詰が頼りで「監獄の島」といわれた。今もキリに残る島民もいるが、首都やエジット島、米国に移った住民も多い。「地域社会は破壊され、ヤシの木の登り方も知らない子どもが大半になった。先祖の知恵も消えてしまう」。ケレンの憂いは深い。
 ▽魂と誇り
 米ハワイからマジュロまでの3500キロ以上を手作りカヌーで航海したこともあるケレンは、数少ないマーシャルカヌー作りの達人だ。「カヌーはわれわれの魂であり、文化であり、誇りでもある」と胸を張る。
 失業や中退に悩んだり、酒に依存したりする若者を支援する非政府組織(NGO)を立ち上げ、カヌー作りを伝授する。
 「伝統の継承だけでなく共同作業の大切さ、生きる力を身につけることにもつながる」との思いがあるからだ。カウンセリングや英語教育も盛り込んだプログラムの卒業生は200人を超えた。
 今年のビキニデーに合わせ、原発事故で避難を強いられた福島県出身の福島大生で21歳の高橋恵子らがマジュロを訪れ、ケレンに会った。
 放射能の影響で帰郷のめどが立たない現状や「相馬野馬追」など地元の文化を高橋が紹介。ビキニの苦難に重ねたケレンは何度も深くうなずいて励ました。「自分たちの文化と前向きな姿勢を決して忘れてはいけない」
 68年前に故郷を追われた島民167人の生存者は30人になったが、いずれも帰郷を望む。ブラボーで「死の灰」を浴びた別の環礁の住民の被ばく被害は世代を超えて続く。
 超大国は今「核なき世界」を訴える時代になった。だが米留学経験もあるケレンの視線は厳しい。「核実験への感謝を口にするが、謝罪は示さない。ジーンズのようにわれわれを使い捨てにした」(敬称略、共同通信元マニラ支局 三井潔)=

広島原爆の7千発分
 米国は1946~58年、マーシャル諸島のビキニ、エニウェトク両環礁で67回の核実験を行った。爆発力の総量は広島原爆の約7200発相当とされる。54年3月1日のビキニでの水爆実験ブラボーでは、日本のマグロ漁船第五福竜丸の乗組員やロンゲラップ環礁の島民らが、放射性物質「死の灰」を浴び被ばくした。事前に避難指示はなかった。
 ロンゲラップ島民は米国の安全宣言で帰島するが、がんや甲状腺異常などの健康障害が相次ぎ、ビキニ島民と同じく再び島を離れる。米公文書には「ロンゲラップに住むことは最も価値ある放射線データを人類に提供することになろう」との記述もあり、人体実験との疑念が消えない。

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